THING MEDIA Inc.
  • SATO
  • 2018年5月15日

 僕と、映像と、馴れ初めと、#001 

佐藤一樹の「映像」との馴れ初めを、ふと、記しておきたくなったので記すこのコーナー

僕と、映像と、馴れ初めと、

第1回目は、出会い〜高校3年〜です。

時期は、文化祭のシーズン。

クラスの出し物どうするか会議の結果、「テレビ局をやろう」ってなった。
普通は、カフェとかなのに。
テレビ局ってすごい企画。(今考えると、ほんとに謎ですが、その時の勢いってほんと青春)

当時、木村拓哉が出ていた「TV’s HIGH」という深夜番組に爆裂に影響を受けていた僕。
誰かと一緒に楽しむことを模索していた僕。

ふと、父が持っていたビデオカメラのことを思い出した。

「父さん、ビデオカメラ、明日から使っていい?」
「何に使うの?」
「文化祭でテレビ局やることになって」
「テレビ局?なんだそれ」
「まあとにかくテレビ局だからビデオカメラがないとはじまらないんだよ」
「そうか、壊すなよ」
みたいなやりとりがあったかどうかは定かではないが、
借りることができた。

それから、
いつも、ビデオカメラを法政二校のオフィシャルバッグにスタンバイし、(絶対そんなのみんな入れたことないと思う)
狂ったように、高校の友達を、いろいろ撮りまくった。
ショートコントというか、なんというか、ほんとたわいもない内容を。

ただ、撮ってわかったことがあった。

「これ、なんかそのままだと、あんまりおもしろくない」

父に聞いてみた。

「PCで編集するんだよ」

僕は言った。

「父さん、僕にPCと編集ソフトを買ってよ」

メカマニアだった父は、当時、PCを自作することにはまっていた。

休日、一緒にPCパーツを買いに行って
何につかうんだかわからない部品を見ては、
「これは、良いマザーボードだね」
「そうだな」
みたいな会話をしていたかどうかは定かではないが、

とにかく、そんな父だったので、このお願いはすんなり通った。

ただ、自作PCを手にしたのはよかったのだが、
全く何をしていいかわからなかった。

「父さん、じゃあ、どうすればいいんだっけ?」
「わからない、調べてみて」
「よし、わかった」

独学でがんばった。

当時のソフトは全く覚えてないが、
windowsに入っていた、ムービーメーカーというソフトは何にもできなかったので、
なんか別のソフトを買ってもらい、
取り扱い説明書を読みまくり、
なんとか、わかることができた。

そして、ようやく、ほんとようやく、
撮りためた友達たちの映像を、
PCに取り込んで、
TV’s HIGHを真似して、
カット編集したり、タイトル入れたりした。
当時はケンタッキーでバイトしてたので、
バイトが終わってから夜中編集した。

高校は遠かったので、いつも6時起きだったが、
それでも3時くらいまではアホみたいに編集していたと思う。

夢中だった。

というより、
自分でつないだ映像を自分で見て、ケラケラ笑っていた。
楽しかったんだと思う。
テレビ番組見るよりも、勉強するよりも。

相当荒くれたその映像を、
学校に持っていって、
友達に見せてみた。

なんかドキドキした。人に見せるのが。

で、ゲラゲラ笑った。めちゃくちゃ楽しかった。

自分が作った映像で、笑いあえる感じが、最高だった。

くだらないことやってる瞬間もおもしろくて、
くだらないことを記録した映像を見てる瞬間もおもしろくて、

僕にとって、映像は完全に一つの遊びになった。

そんなこんなで、文化祭では、

MAXの「TORA TORA TORA」「Grace of my heart」を男子校の4人が自分たちで踊ってみた、した映像と、
(今考えれば、相当youtuberの走りだと思う)

超絶シュールなショートコント集の映像と、

を作って、流して、

たぶん、
ぽかんとしていた人3割、
クスクスしていた人3割、
見てない人3割、
ゲラゲラしていた僕たち1割、

ということで、
あくまで僕の中では、大成功に終わった。

ふとしたきっかけで、
映像を作って人に見せる、という楽しさと出会った、
佐藤一樹という幼児体型の少年は、

一つの遊びだった映像を
自分の将来のやりたいことにしていくのだった。

次回予告、
「進路希望どーする?最大のピンチ、成績が足りない!」

に続く。かもしれない。

佐藤一樹
佐藤一樹THINGMEDIA株式会社 取締役|Producer
ドラマが好き、マキシマムザホルモンが好き、脳みそ震わせることが好き